この記事が含む Q&A
- ABAとは何ですか?
- 行動を環境の中で理解し、生活のしやすさを高める方法として発展してきた支援アプローチです。
- エイブリズムとは何ですか?
- 社会の「普通こうあるべき」という価値観が支援にも影響し、画一化を招く考え方を指します。
- これからのABAはどうあるべきですか?
- 本人の自立や希望を尊重し、環境を整えることで生活を豊かにする支援へと戻るべきだとされています。
自閉症のある人が社会の中でどのように理解され、どのように支援されてきたのかをふり返ると、そこには「普通とは違うものを直すべきだ」とする社会の空気が長く根づいてきました。
こうした空気は、本人が何を大切にしているのか、どのように感じているのかよりも、周囲が「こうあるべき」と考える姿に近づけることを優先しやすいものです。
この価値観は「エイブリズム」と呼ばれます。
エイブリズムは個人の態度だけでなく、学校、医療、支援制度、働き方など社会の仕組みの中に入り込み、無意識のうちに人の判断や行動を左右します。
応用行動分析(ABA)は、行動を環境の中で理解し、生活のしやすさを高める方法として発展してきました。
しかし、ABA自身もまた社会の一部として歩んできた歴史があり、その中で社会の価値観――つまりエイブリズム――の影響を受けた部分があります。
今回の研究は、複数の行動分析研究者によって行われ、ABAの歴史を丁寧に読み解きながら、その中にどのようなエイブリズムが入り込み、どのように変化してきたのかを整理したものです。
研究は特定の施設で実験を行う形式ではなく、歴史資料、専門文献、自閉症当事者の記述、そして研究者自身が現場で経験してきたことを材料としてまとめられたものです。
著者たちは全員大学院教育を受け、1980年代から2020年代までのさまざまな時期にABAの現場に関わってきた人たちです。
その中には自閉症やその他の神経発達特性のある研究者も含まれています。
ABAが誕生した1960〜70年代、当時の自閉症の診断基準は現在と大きく異なりました。
幼児期の早い段階で強い社会的困難や言語の遅れが見られ、生活行動も非常に難しい状態にある子だけが「自閉症」と診断されていました。
家族が抱える困難は大きく、子どもは施設に入れられることもめずらしくありませんでした。
日常生活での危険行動、自傷行為、極端な孤立が重視されていた時代に、ABAは「行動を改善すれば家庭で暮らせる可能性が広がる」と考えられ、当時の支援の中心となっていきました。

しかし、その背景には社会の強いエイブリズムがありました。
障害のある人の行動は、まず「直すべきもの」「普通に近づけるべきもの」として扱われていました。
この価値観は、ABAの一部の実践の中に入り込みました。
たとえば、過去には行動を減らすために電気ショックが使われたこともあります。
当時の社会には、障害のある人の行動を“強制的に変える”ことが当然とされていた側面があり、そのためこうした方法が選ばれてしまいました。
こうした場面では、行動の背景にある不安や感覚の負担が理解されないまま、表に見える行動だけが問題視されてしまいました。
一方で、ABAによって多くの人の生活が改善されたことも事実です。
危険のある自傷行動や攻撃行動が減り、本人も家族も生活の安全を取り戻すことができた例は多くあります。
言語やコミュニケーションの発達に合わせて環境を調整し、必要な行動スキルを少しずつ積み上げることで、家庭や学校での生活が広がったケースも多く報告されています。
行動の理由となる環境を分析し、その人が必要としている力を育てるという科学的アプローチは、当時の社会にとって画期的でした。

しかし、ABAが拡大する中で、支援の内容が画一化していった側面もあります。
とくに1990年代以降、保険制度の拡大や民間企業の参入により、ABAのサービスは急速に広まりました。
企業が運営するサービスが増えるにつれ、量的な拡大が優先され、質の確保や個別性が置き去りになる場面が増えていきました。
自閉症の診断基準は2013年から大きく変わり、知的障害や言語能力に関係なく幅広い特性の人が同じ「自閉症」と診断されるようになりました。しかし、支援の側がその変化に十分追いつかず、「自閉症だからこのプログラム」という画一的な考え方が残り続けたことが、エイブリズムをさらに強めることにつながりました。
支援が画一化すると、本人の声や希望が置き去りになりやすくなります。
たとえば、すべての子どもに一律で1日8時間以上の訓練を課す形式は、本人の疲労や感覚特性を無視してしまうことがあります。
本来必要とされているのは、本人の負担の大きさや興味の向き、生活の中での困りごとを丁寧に見つめ、個別の目標を設定することです。
「こうあるべき」という枠で本人を捉えると、そこで暮らしている本人の生活や気持ちが見えなくなります。

エイブリズムの特徴の一つは、「良かれと思った支援」が本人にとって苦痛になることがあるという点です。
支援者が“正しい”と思い込んでいる方法が、本人の望みとは正反対であるケースは少なくありません。
ABAにおいても、行動の分析や介入が「本人のため」という理由で無批判に受け入れられることがありました。
しかし、誰かの生活をより良くするための支援は、本来その人の価値観や希望と結びついていなければ意味がありません。
支援はその人の生活の中に入り込むものです。
ゆっくりしたい時間、好きなもの、嫌いな刺激、人との距離の取り方――そうした「その人だけの大切な感覚」があります。
ABAは本来、それらを丁寧に理解し、環境を調整して支援する方法でした。
行動だけを見るのではなく、行動が生まれる環境を見て、その人が安心して過ごせる条件をそろえていくことが大切だとされています。
研究者たちは、ABAが社会のエイブリズムに巻き込まれた歴史をふり返りながら、これから必要なのは「本人の自立や選択を尊重する支援」に戻ることだと述べています。
ABAは自閉症を「治す」方法ではなく、本人の生活を豊かにするための道具であるという原点に立ち返る必要があります。
自閉症のある人は、感覚の世界も、興味の方向も、得意なことも、苦手なことも人それぞれです。
その違いを尊重し、その人が自分の力を発揮できるように環境を整えることこそが、支援の中心に置かれるべきです。

支援の内容が本人の生活と重なっていくとき、その人は安心し、力を伸ばすことができます。
「この子の行動を直さなければ」という焦りではなく、「どんな環境なら安心できるのか」「どんな活動なら参加しやすいのか」という視点で環境を調整することが大切です。
研究者たちは、ABAが本来大切にしてきた“環境を理解する姿勢”を取り戻し、本人の声を中心に据える支援へと進むことを求めています。
自閉症のある人の生活は多様であり、支援の形も一つではありません。
ABAがこれから進むべき方向は、エイブリズムの考え方から距離を置き、その人の希望や価値観を土台にした支援へとシフトしていくことです。
自閉症のある人が安心して暮らせる環境、好きなものを大切にできる日常、疲れを感じたときに休める自由――そうした小さな積み重ねが、その人の生活を大きく支えます。
行動を変えるのではなく、その人が持っている力を伸ばせるように環境を整えること。
それが、ABAが目指す未来の姿として描かれていました。
(出典:Behavior Analysis in Practice DOI: 10.1007/s40617-025-01100-w)(画像:たーとるうぃず)
社会が求める「あるべき姿」ではなく、
本人が求める「あるべき姿」となるよう、応援したいです。
(チャーリー)




























