この記事が含む Q&A
- ADHDのカモフラージュはADHD特有の現象として確立していると言えるか?
- 現時点では十分ではなく、ADHD特有と断定できる証拠は不足している。
- ADHDのカモフラージュと自閉症のカモフラージュの関係はどう説明されているか?
- 自閉症のカモフラージュをADHDにそのまま当てはめるのは理論・実証ともに不適切とされている。
- 研究はADHDの困難さをどう捉えるべきだと提案しているか?
- 努力や消耗は実際にあるが、それを「隠す戦略」として捉えるより「適応」「防御」として理解する方が整合的だと提案している。
「なんでこんなに疲れるんだろう」
一日を終えて、そう感じることはありませんか。
仕事や学校では、なんとかやれている。
忘れ物も減ったし、遅刻もしないように気をつけている。
衝動的な発言も、以前よりは抑えられている。
でも、家に帰ると、どっと力が抜ける。
頭の中は常に緊張していて、「ちゃんとしなきゃ」が止まらない。
周囲からは「普通にできている」と思われている。
けれど、自分の中では、ずっと必死だ。
この状態を、「ADHDをカモフラージュしている」と表現する人もいます。

しかし今回ご紹介するイギリスのハダーズフィールド大学の研究者による論文は、その考え方に慎重な立場をとっています。
結論は、はっきりしています。
自閉症の研究で発展してきた「カモフラージュ」という概念を、そのままADHDに当てはめるのは理論的にも実証的にも十分ではない、という主張です。
まず、自閉症におけるカモフラージュとは何か。
それは、「自分の特性を意識的に調整し、周囲に気づかれないようにすること」です。
たとえば、
・目を合わせる努力をする
・話し方を変える
・会話のタイミングを計算する
ここには、
「どの行動が否定的に受け取られるかを理解する」
「どう見られるかを予測する」
「その場で修正する」
という、かなり高度なプロセスがあります。
つまり、戦略的な“印象管理”です。

では、ADHDではどうでしょうか。
ADHDの人にも、たしかに多くの努力があります。
・忘れないように徹底的にメモを取る
・遅刻しないために極端に早く出る
・ミスを防ぐために完璧主義になる
・衝動的な発言を必死にこらえる
外から見ると、「うまく隠している」ように見えることもあります。
しかし、この論文は、ここに本質的な違いがあると述べます。
ADHDにおけるこれらの行動は、「症状を計算して隠している」というより、「長年の批判や失敗への反応」として形成されている可能性が高い、というのです。
多くのADHDの人は、子どものころから
「だらしない」
「ちゃんとやりなさい」
「努力不足だ」
と言われ続けてきました。
その積み重ねは、
「どう見られるかを戦略的に考える」よりも、
「もう怒られたくない」「失敗したくない」という強い不安を生みます。
だからこそ、
過剰に準備する。
何度も確認する。
人一倍がんばる。
これは「隠すための作戦」というより、「傷つかないための防御」に近いのではないか、と著者は指摘します。

さらに重要なのが、脳の特性との整合性です。
ADHDでは、
・衝動を抑える力
・注意を持続させる力
・ワーキングメモリ
・計画性
といった実行機能が不安定になりやすいことが知られています。
しかし、症状をリアルタイムで隠し続けるには、
「今まずい行動をしていないか」
「どう見られているか」
「どう修正すべきか」
を同時に処理し続ける必要があります。
これは、まさに実行機能を強く使う作業です。
もしADHDの中核症状を安定して隠せるなら、それはすでに実行機能が十分に働いていることを意味するのではないか。
しかしADHDは、その機能が不安定になる状態ではないのか。
この点が、論文の核心的な疑問です。
もちろん、努力や一時的な調整は可能です。
でも、それはとても消耗します。
「できているように見える」ことと、「症状が隠れている」ことは同じではない、と論文は述べます。
さらに問題になるのが、測定の問題です。
現在、「ADHDのカモフラージュ」を測るために使われている尺度の多くは、自閉症向けに作られたものです。
研究では、それらの点数はADHD特性よりも自閉症特性と強く関連していることが示されています。
つまり、「ADHD特有の現象」と言い切るには、まだ証拠が足りないのです。

主張は一貫しています。
ADHDの人の努力や消耗は、確かに存在する。
しかし、それをすぐに「ADHDカモフラージュ」という独立した構造として扱うのは慎重であるべきだ。
むしろ、それは
・長年の批判によって形づくられた適応行動
・不安や完璧主義と重なり合う行動
・失敗回避のための防御
として理解したほうが、理論的にも整合的ではないか、という提案です。
この議論は、当事者の苦しさを否定するものではありません。
むしろ、「あなたの消耗は本物だ」と認めたうえで、
「それをどう説明するのが一番正確か」を問い直しています。
もしかすると、あなたがしてきたのは、
“症状を隠す高度な作戦”ではなく、
“生き延びるための適応”だったのかもしれません。
その違いを丁寧に考えること。
それが、この論文が私たちに投げかけている大切な問いなのです。
(出典:The British Journal of Psychiatry DOI: 10.1192/bjp.2026.10577)
ADHDの人がしている努力は、「症状を隠す戦略」ではなく「うまく生きるための適応」かもしれない、とのこと。
隠すと考えるか、適応と考えるかで、自己理解や診断の見方が変わります。
自閉症の人が「ふつう」に見せるためにするマスキング。その影響
(チャーリー)




























