
この記事が含む Q&A
- 自閉症スペクトラムの概念はどのように生まれ、現在どんな議論があるのですか?
- 1980年代にローナ・ウィングが提唱し幅広い特性を認めるようになりましたが、スペクトラムを直線で捉える見方は誤解を生みやすいと指摘されています。
- 診断のレベル分けや旧来の呼称にはどんな問題点があるのですか?
- アメリカの診断マニュアルのレベルはあいまいで生活体験と一致しない場合があり、重度・アスペルガーといった用語には賛否があると説明されています。
- 「スペクトラム」という言葉を巡る社会的影響と適切な言い方はどんなポイントがありますか?
- 言葉は社会の扱いを左右し得るため、多様性を認め生き方として捉える方向へ移るべきで、個々の困難や支援ニーズは一つの線で決まらないとされています。
「自閉症スペクトラム」や「スペクトラム上にある」という表現は、いまや日常的な言葉として広く使われています。
これらは多くの場合、神経多様性を持つ人を指す別の言い方として使われています。
この言葉が初めて提唱されたのは1980年代のことで、精神科医のローナ・ウィングによるものでした。
彼女の研究はイギリスにおける自閉症の理解を大きく変えました。
当時、彼女の示した「自閉症スペクトラム」という概念は画期的なものでした。
それまで自閉症はまれで限定的な状態と見なされていましたが、もっと幅広い特性や経験の存在が認められるようになったのです。
しかし、「軽度から重度までがひとつの直線上に並ぶ」というスペクトラムのイメージは、実際には誤解を招きやすいものです。
この言葉は役割を終えつつあるのではないかと考える専門家もいます。
人々が「スペクトラム」という言葉を聞いたとき、多くは赤から紫までの色が並んでいるような一直線を思い浮かべます。
そして自閉症にそれを当てはめると、「より自閉的」「あまり自閉的ではない」と人を順位づけるイメージにつながります。
しかし、自閉症はそのように単純化できるものではありません。
自閉症は多くの異なる特性や支援の必要性によって成り立っており、それらは人によって独自の組み合わせで現れます。
ある人は日常生活に強いルーティンを必要とし、別の人は「スティミング」と呼ばれる繰り返しの動作に安心感を得ます。
また、特定の話題に強い集中を向ける傾向を持つ人もいます。
これは「モノトロピズム」と呼ばれる概念です。
さらに、自閉症には関節の過可動といった身体的な状態との関連も知られています。
このように多様な要素から成り立っているため、自閉症の人々を一本の線に並べることはできません。
それでも境界を引こうとする試みは続いています。
アメリカ精神医学会の診断マニュアルでは、自閉症を必要な支援の程度によって3つの「レベル」に分けています。
レベル1は「支援が必要」、レベル2は「相当な支援が必要」、レベル3は「非常に大きな支援が必要」とされています。
しかし、これらのレベルはあいまいで一貫性に欠けるとする研究もあります。
そしてそれは、実際の生活での体験を必ずしも反映していません。
人生の状況によっても、必要とする支援は変化します。
ふだんはうまく適応できている人でも、長期間にわたり必要が満たされなかった場合には「バーンアウト」を経験し、支援の必要性が急に高まることがあります。
最近の研究では、更年期のようなライフステージの変化によっても支援の必要性が増すことが示されています。
このような変化する性質を、固定的な「レベル」で捉えることはできません。
さらに最近では、「重度自閉症(プロファウンド・オーティズム)」という新しい呼び方が提案されています。
これはランセット委員会と呼ばれる国際的な専門家グループが、自閉症のうち知的障害や高い支援ニーズを持つ人に対して用いた表現です。
しかし、この言葉も役に立たないとする専門家がいます。
なぜなら、その人が直面している具体的な困難や必要とする支援の種類については何も伝えていないからです。
ローナ・ウィングはまた「アスペルガー症候群」という言葉もイギリスに導入しました。
これは「重度自閉症(プロファウンド・オーティズム)」という考えと同じように、自閉症の人を支援の必要度によって二分するものでした。
すなわち、より高い支援を必要とする人と、アスペルガー症候群とされた比較的支援が少なくて済む人という区分です。
しかしこの名称は、1940年代にオーストリアの医師ハンス・アスペルガーが「自閉的精神病質」と呼んだ子どもの一群から取られたものでした。
そしてナチス時代、彼は高い支援を必要とする自閉症の人々の虐殺に関与していたことが知られています。
このため、多くの自閉症の人は自分がもともとその診断を受けていたとしても、この言葉をもう使いたくないと考えています。
これらすべての議論の根底には、もっと深い懸念があります。
それは、自閉症の人々をカテゴリーに分けたり、スペクトラム上に並べたりすることが、社会における価値の序列につながる危険性です。
その最も極端な形は、高い支援を必要とする人を非人間的に扱ってしまうことです。
これは一部の自閉症の活動家たちが警告していることであり、危険な政治的意図を助長しかねないのです。
最悪の場合、社会にとって役に立たないと判断された人々が、将来的な虐殺の犠牲になってしまう可能性さえあります。
それは突飛に思えるかもしれませんが、たとえばアメリカの政治の動きは多くの自閉症の人々にとって非常に不安を呼ぶものとなっています。
最近、アメリカの保健長官であるロバート・F・ケネディ・ジュニアは「国の自閉症の流行に立ち向かう」と述べました。
これまでに行われてきたのは、妊娠中のパラセタモール使用が子どもの自閉症と関連するという強く否定された主張を繰り返し、妊婦にこの鎮痛薬を避けるよう呼びかけることなどです。
このような言動は、多くの研究によって否定されているにもかかわらず広がり、社会的な不安を生み出しています。
また、「自閉症スペクトラム」という言葉自体が、しばしば「自閉症」という言葉を避ける手段として使われています。
これはたいていの場合、悪意ではなく配慮から来ています。
しかし、その根底には「自閉症である」ということを否定的にとらえる考え方があります。
多くの大人の自閉症者は「自閉症」「自閉的」という直接的な言葉を好みます。
自閉症は重さの度合いではなく、生き方のひとつであり、欠陥ではなく違いなのです。
言葉はすべてのニュアンスを正確に伝えることはできません。
しかし言葉は社会が自閉症の人をどう扱うかを形づくります。
「スペクトラム」という一本の線の考えから離れることは、自閉症の多様性を認め、その人をありのままに大切にすることにつながる一歩なのです。
(出典:THE CONVERSATION DOI: 10.64628/AB.5a3y4nmxu)(画像:たーとるうぃず)
「スペクトラム」と言われてしまうと、それだけでは範囲が広く多様すぎるように私も思います。
うちの子は自閉症で知的障害もあり話すこともできず24時間365日介護が必要です。
うちの子は「重度自閉症」と、少なくとも区分するほうが実情にあっています。
(チャーリー)