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知的障害の兄は恐ろしいほど最高で恐ろしいほど恐ろしかったが

time 2018/08/02

この記事は約 6 分で読めます。

知的障害の兄は恐ろしいほど最高で恐ろしいほど恐ろしかったが

私の兄のアランが43歳で突然亡くなりました。

私は哀悼の意を捧げました。
しかし、変わったことを言われました。

ある友人はこう言いました。
「肩の荷が降りてよかったね。」

もう一人は私を抱きしめてこう言いました。
「ついに幸せになれるね。」

この友人たちは、私の兄が若くして亡くなったことは私にとっては悪いことではなく、良かったことだろうと考えたのでしょう。

しかし、私の深いところでこうした友人からの言葉は、これまでに感じたことのない悲しみになりました。

たしかにアランはふつうのきょうだいではなかったでしょう。ふつうのきょうだいの関係ではありませんでした。

愛情があるだけでなく、恐怖もありました。
共感もしました、しかし恥ずかしさもありました。
感謝をしました。憤りもありました。

なので、私が兄を失ったことは、他の人がきょうだいを失うのとは違うものだろうと友人たちは考えたのでしょう。

私の兄は成人の体をもっていましたが、頭の中は5歳でした。

過食症もありました。話すことにも困難をかかえ、愛らしくなったり、暴力的になったり、感情の起伏も激しいものでした。

兄が30代の頃に、プラダー・ウィリ症候群と診断をされました。
プラダー・ウィリ症候群は遺伝的異常により引き起こされる知的障害です。
母親は他にも問題をかかえていると思っていました。
兄は生まれたときに泣かなかったそうです。

知的障害の兄は恐ろしいほど最高で恐ろしいほど恐ろしかったが b2

兄のアランにはいつも見守る必要がありました。
ほうっておくと、たとえば嘔吐するまで食べたりします。
ゴミから拾って食べたりしました。

ステーキナイフで缶詰をあけようとして怪我をしたことがあります。
ストーブで家を火事にしてしまったこともあります。

私が3歳になると、もう兄を追い越していました。
私のほうが年上のようになりました。

「正常な子ども」

親をなぐさめるときに、まわりの人は私のことをそう呼びました。

「少なくとも、この子は正常な子どもなんだから。」

1970年代、障害のある子をもつことは不幸でした。

私は癒やす存在だったようです。

それから「正常な子ども」がもう一人増えました。
私に弟のアンドリューができたのです。

しかし、家族が幸せになることはありませんでした。
私が5歳のときに父は家を出ていきました。

私の母はずっと難しい状況でした。深刻なうつ病に苦しみました。
私は幼いころから、兄のアランの介護を手伝いました。

そのために、兄のアランがおこす暴力的な爆発に巻き込まれざるを得ませんでした。

兄のアランは、妹の私がそうしたことをするのを理解できていませんでした。

私が兄に歯を磨くように言ったり、落ちていたもの食べないように言うと、
兄は私を打ちました。私の頭を壁に叩きつけたり、私の髪をつかんで床をひきずったりしました。

私が泣き叫び、私の血を見ると、兄は泣いて謝りました。

兄は私を傷つけたくないのです。
しかし、自分をコントロールできないのです。

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すごく落ち着いていて幸せなときもありました。

母がいないときには、私は兄のほおにキスをして、兄から大好きな映画の話を眠るまで聞きました。

兄は新しい人に出会う度に、くつのサイズと電話番号をたずねて記憶しました。
私といっしょに夜中に新しい友だちに電話をしたりもしました。

兄は犬にとても好かれました。
兄が子犬を抱いているところをみると、誰も暴力的なところがあるとは思わなかったはずです。
兄はスキルを持つことができたなら、動物に関わる仕事ができたのではないかと思います。

暴力的になっていないときの兄は、私が今までに最も愛した人の一人です。

兄のアランを亡くしたとき、私は良かったとは少しも思いませんでした。

偽りなく、悲しみを感じました。

私は兄を失ったことだけでなく、兄がよりよい生活を送れる可能性がなくなってしまったこと、私たちがこれからも、仲良く過ごしていける可能性がなくなってしまったことに、悲しみを感じます。

兄のアランと私が子どもだった70年代から現在までに特別支援は大きく変わったように思います。

当時、私たちの家族が求めても支援はありませんでした。いやがらせを受けても頼るところはありませんでした。
私の母は完全な孤独を感じていました。苦労をかかえていました。

現在アメリカでは、およそ60人に一人の子どもが発達障害だと米国疾病管理センターが発表をしています。
アランと私が子どもだった頃にはなかった支援内容とネットワークがあります。

今ある支援が当時の私たちに家族にあったなら、もっとうまくいったのかもしれません。

亡くなってしまうまで、私は兄のアランがいつかきっともっと幸せになれることを期待していました。
私は兄に感じていた複雑な感情がほどけていくことも願っていました。
大人になって、また子どもだった頃のように一緒に楽しく過ごしたいと思っていました。

兄のアランと私との関係は、恐ろしいほど最高で、恐ろしいほど恐ろしいものでした。

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私は自問します。

「兄を愛していましたか?」

答えます。

「深く愛していました。」

私は小学校の先生が、私は幸運な女の子だと教えてくれたことを思い出します。

「あなたのお兄さんは特別な存在です。
そんな特別なお兄さんをもったことはとても幸運なことです。
特別なお兄さんは、他のお兄さんが教えられないことを教えてくれるはずです。」

そのとき、その言葉に私は違和感をおぼえました。

「幸運?」

その時の私は、アランの妹であることをとても不幸に思っていました。
幼い頃の私にはわからなかったのです。

大きくなって振り返ると、あの先生が言っていたことは正しいものでした。

アランは、人間とは不完全で弱いものだと教えてくれました。

兄のアランに対する人たちを見て、世界には信じられないほどのやさしさと、想像を絶するほどの残酷さがあることを理解しました。

アランのおかげで私は、忍耐、共感、友情、大人になること、そして思いやりをもつことができました。

アランは私を悩ませる存在でしたが、兄でもありました。

私がアランにもった深い愛情があっても、兄の暴力を止めることはできませんでした。
しかし、暴力があっても愛情を失うことはありませんでした。
私は、両方が同時に存在することもあることを理解しました。

今の私は自分に子どもができ、他の家族とも知り合って、きょうだいとは親からの愛情や時間、承認を得たくて競争することを知りました。

兄のアランと私のきょうだい関係とはすべてが違っていました。

しかし、兄を失った悲しさは他の「きょうだい」たちが感じるものとまったく変わりありません。

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(出典:米WRAL)(画像:Pixabay

目が潤みます。

うちの子のきょうだいもいつか、そんふうに思ってくれたらいいなと思います。

親やきょうだいは発達障害の子から多くのことを学ぶ。博士の手記

(チャーリー)

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