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私は「高機能」自閉症。「高機能」とか呼ぶのやめませんか。

time 2018/08/08

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私は「高機能」自閉症。「高機能」とか呼ぶのやめませんか。

誰かが自閉症スペクトラム障害であるという話をすると次のような言葉が続きます。
「しかし、彼は高機能自閉症です。」
「彼女は低機能自閉症です。」
長い間、共通的に使われてきたそのようなラベルは、私は変えるべきだと考えています。
私自身も自閉症スペクトラム障害です。
私の診断書を見ても、自閉症スペクトラム障害と記載されているだけで、高機能とも低機能とも示されてはいません。
しかし、医師や介助してくれる人、家族からは「高機能」だといわれています。
褒め言葉のようです。
私は自閉症スペクトラム障害ですが、少なくとも高機能だよと。
高機能の人は、低機能の人ほどまわりに苦労をかけることがないと考えられているようです。
しかし、それはいつも正しいとはいえません。
状況、気分、睡眠の量などによって、変化します。
私は通常の高校に通いました。特別支援学校には通っていません。
たいていの場合は、話すこともできます。
そして障害のある人の介助も長く行ってきました。
現在は大学生です。
私はかなりうまくやっているように思うかもしれません。
他の自閉症スペクトラム障害の人ほど苦労はしていないのかもしれません。
しかし、それは私が自閉症スペクトラム障害の人であるときを知らないからです。
私はパニックを起こしてしまいます。
叫んで、泣きわめいて、自分の頭をたたきます。
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新しい人には、話をすることができません。
私はなんとか、学校に通っていたんです。
感覚の問題があり、車の運転などをすることはできません。
私は大学にずっといることもできません。
料理もできません。眠ることもできません。一人でいることができません。
なので、一人暮らしをしたい気落ちがありましたが、両親とずっと一緒です。
私は照明やにおいがつらくて、病院に行くたびに泣いてしまいます。
人も怖いです。
そのために外に行くこともほとんどありません。
シャワーも浴びることができません。
服を着るのにも一時間以上かかってしまいます。
飲まなければいけない薬も、親から言われて飲むことを思い出します。
感覚負荷でパニックになってしまうと、自分自身を打って、傷つけ、叫び、髪の毛も抜いてしまいます。
これらは、私の問題のすべてではありません。他にもあるのです。
当事者である私の立場になってみれば、「高機能」と思う人はいないはずです。
しかし、家で過ごしていたり、安心できる人と一緒にいるときには、私は自閉症スペクトラム障害の特徵を隠すことができます。
外で感覚の問題を感じても、家に帰るまで我慢できることもあります。
だから「高機能」なのでしょうか。
そうして隠すことはとても苦痛です。
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私は「低機能」の自閉症スペクトラム障害の人の介助をしています。
私は先生になったり、友だちになったりします。
通常、「低機能」と呼ばれる自閉症スペクトラム障害の人は、24時間365日、介助を必要とします。
言葉を話すこともできず、一人でトイレにいけないかもしれません。
しかし、だからといって知性もない、素晴らしいところもないということではありません。
ただ、支援や介助をより必要としているというだけです。
それなのに、「低機能」というラベルをつけることは気持ちがよいことでしょうか?
あなたの子どもや友だちをそう呼びたいですか?
話すことができない低機能の自閉症スペクトラム障害の人であっても、こちらの言っていることを理解できる人がいます。
「低機能」というラベルづけは、当然そうした人たちとの良好な人間関係を築くことを難しくします。
そんなラベルを付けられたら、自分は人間性の一部が欠けていて、能力をもっていないと見られていると思うはずです。
一方で「高機能」というラベルは、当事者がかかえている困難をたいした困難ではないと思わせてしまいます。
このようなラベルは変えてほしいと思います。
「機能」で考えるのではなく、必要なサポートのニーズレベルで考えるべきです。
「高度支援ニーズ」の人「軽度支援ニーズ」の人のようにです。
おかしな思い込みをなくす一方で、必要な支援の程度はわかります。
24時間365日の介助やトイレの支援などが必要な場合には「高度支援ニーズ」ということです。
「低機能」という言葉がもつ、まるでその人に欠陥があるかのような印象を排除できます。
介助を必要とせず、自立して生活できるようになればサポートのニーズは低くなります。
例えば私自身は、「中度支援ニーズ」の自閉症スペクトラム障害だというのが適していると思います。
私には24時間365日の介助者は必要はなく、学校にも通えているからです。
しかし、夜を過ごすのにはサポートが必要です。
感覚の問題から公共交通機関を利用することもできないため、誰かに移動を支援してもらう必要もあります。
私は、発達障害の人のサポートグループにも入り、薬も飲んでいます。
刺激を与えてくれるいじれるおもちゃも手放せません。
話すことができなくなってしまった場合には、カードを使ってコミュニケーションを行うなど、以上からです。
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私はサポートが必要なのを認めることに恥ずかしさは感じません。
私が世界にアクセスするためには必要なものです。
自閉症スペクトラム障害、発達障害と私が可能な限りうまくつきあうのに助けてくれるものです。
世界が自分のためにあったものでないことを認めても、まったく恥ずかしいと思うことはありません。
私は自閉症スペクトラム障害、発達障害であることに誇りを持っているくらいです。
あなたのまわりにいる発達障害の友だちや家族についても、その人からすれば困難な世界に生きていることを考えれば誇りに思えるはずです。
そうした人たちの能力に注目するよりも、求められている支援に注目するのがいいと思います。
(出典:米The MIGHTY)(画像:Pixabay
うちの子は「重度」の発達障害、知的障害です。日本では「低機能」という形容詞はふだんはあまり使われていないように思います。
欧米のニュースなどでは、日本でいうところの「重度」に多くはあたると思いますが、自閉症スペクトラム障害、発達障害、知的障害について、「高機能」”high-functioning”の反対の「低機能」”low-functioning”という形容詞が使われているのを見ることがあります。
たしかに、そう言われた方の立場になれば気持ちよく受け入れられる言葉ではないですね。また、高機能と言われてもなんだか見過ごされてしまうような気持ちになることも察します。
しかし、言葉や言葉づかいを気にする、言葉を作る、そうした上っ面で済ますことよりも、それが対象とする実体を直視し、考えて思い、動くことのほうがはるかに喜ばれることにつながるのは言うまでもありません。
『発達障害の人』『発達障害がある人』どっちを使うべきか問題

(チャーリー)


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