
この記事が含む Q&A
- ASDの人が顔を見る際の視線パターンの違いは何に基づいていますか?
- 脳の顔認識ネットワークの使い方の違いや心理的要因に関係しています。
- 顔パレイドリア画像を用いた研究の意義は何ですか?
- 顔認識や視線の傾向を客観的に測定でき、早期発見や支援の手がかりとなります。
- どのようにしてASDの子どもたちの視線や顔認識を支援できますか?
- 視線のトレーニングや社会的視覚情報処理を助ける支援技術の導入が有効です。
人は生まれつき、顔に似たものを敏感に見つける力を持っています。
新生児であっても、目と口が縦に並んだ「顔らしい模様」に自然と注意を向けることが知られています。
こうした顔への反応は、他者の表情や気持ちを読み取り、社会の中でやり取りしていくためにとても大切な能力です。
ところが、自閉スペクトラム症(ASD)のある人たちは、この「顔を見る力」が定型発達の人と少し違っている場合があります。
人の顔を見つめる時間が短かったり、目を合わせることが苦手だったりする傾向が、多くの研究で示されています。
しかし、それがなぜ起きるのか、どのように顔を見ているのかといった詳しい理由については、まだ明らかになっていない点が多く残されています。
この問題に取り組むため、イタリアのブレシア大学とASSTブレシア市民病院の研究チームは、新しい手法を使って調査を行いました。
使われたのは、実際の人の顔ではなく、果物や野菜などの食べ物を組み合わせて作られた「顔に見えるけれど顔ではない画像」です。
こうした画像は「顔パレイドリア」と呼ばれます。
たとえば、目に見える部分がオリーブで、口がソーセージ、輪郭がレタスなどで構成されたもので、パッと見たときに顔らしく見えるような工夫がされています。
この研究では、ASDのある10代の若者16人と、同じ年齢・性別の定型発達の若者16人が参加しました。
彼らは全員、1枚ずつ顔パレイドリア画像を見せられ、「これは何に見えるか」を自由に答えるという課題に取り組みました。
同時に、目の動きを正確に記録できる装置(アイトラッカー)を用いて、どこをどれくらいの時間見ていたのかが詳細に記録されました。
画像は全部で10枚あり、「あまり顔に見えないもの」から「かなり顔に近いもの」までが順番に提示されました。
こうすることで、「どの段階で顔として認識するか」「そのときどこを見ているか」を比較できるようにしました。
結果として、ASDの参加者たちは、定型発達の人たちよりも「これは顔だ」と答えた回数が明らかに少ないことが分かりました。
とくに中間レベルの画像、つまり「なんとなく顔っぽいけれど、はっきりとは分からない」といった画像で、顔として認識する割合が大きく低下していました。
実際、ASDの人たちは、全体として30%ほど顔として答える回数が少なかったのです。
また、注目されたのは、目の動きの違いです。
定型発達の参加者は、画像の中でも「目」にあたる部分や、顔全体を構成する部分に視線を集中させていました。
それに対して、ASDの参加者は、「口の位置」や「顔の外側」といった部分を多く見ており、「目」に向けられる視線の時間が短い傾向がはっきりと見られました。
こうした視線のパターンが、顔を顔として認識する能力に大きく関係していることが示されました。
つまり、「目」や「顔全体」をよく見る人は、より多くの画像を「顔」として認識しやすく、「口」や「顔の外側」ばかり見ている人は、顔として認識しづらいという傾向があったのです。
この視線の違いは、単に好みや習慣の違いではなく、脳の中でどのように情報を処理しているかに深く関係していると考えられています。
顔を見るときには、脳の中で「顔認識ネットワーク」と呼ばれる領域が活性化しますが、ASDの人ではこのネットワークの使い方が定型発達とは異なっている可能性があります。
また、研究では、「目を見ない」理由として考えられてきた2つの仮説にも注目しています。
一つは「アイ・アボイダンス(目を避ける)」という考え方で、目から伝わる感情的な情報が強すぎるために、見ること自体が不快になってしまうという説です。
もう一つは「アイ・インディファレンス(目に無関心)」で、そもそも目という情報源に対してあまり関心を持っていない、という考え方です。
この研究の結果は、そのどちらの仮説にも合致する部分がありました。
ASDの参加者は、「目」を避けて「口」や「外側」ばかりを見ていましたが、それは不快だからかもしれませんし、興味を持っていないだけかもしれません。
いずれにしても、その視線の向き方が、結果として顔の認識を難しくしているという点は明確でした。
さらに重要なのは、この「視線の使い方の違い」が、ASDの診断にも関係してくる可能性があるという点です。
研究チームは、目や口、顔の外側などの部分を見ている時間と、ASDであるかどうかとの関係を統計的に調べました。
その結果、ある特定の視線パターンを示す人は、ASDである可能性が高いという予測ができることが明らかになりました。
たとえば、「目」を長く見ている人ほどASDである確率は低く、「口」や「顔の外側」を長く見ている人ほどASDである確率が高くなる、という結果です。
つまり、目を見ている時間が短く、口や顔の外に視線が流れがちな人は、ASDの特徴を持っている可能性があるということです。
こうした視線パターンは、非常に小さな年齢のころからすでに現れている可能性があります。
過去の研究では、生後2か月から6か月のあいだに、ASDの子どもたちが目を見る頻度を減らし、代わりに口や物体の方を好んで見るようになるという傾向が観察されています。
この視線の違いは、やがて母親との視線の共有や感情のやりとり、さらには言語や社会性の発達にまで影響を及ぼしていく可能性があるとされています。
本研究で使われた顔パレイドリア画像には、実際の目や鼻、口などの明確な顔のパーツが存在しません。
そのため、見る人が「これは顔に見える」と感じるには、個々人の直感や視覚的な処理力が試されます。
だからこそ、こうした画像を用いることで、より繊細な顔認識の力や視線の傾向を測ることができるというわけです。
この点で、顔パレイドリア画像は、今後の発達障害の評価や支援の分野において、大きな可能性を持っているといえます。
たとえば、ASDの早期発見のためのツールとして、視線パターンの分析を取り入れたり、視線のトレーニングによって「顔を見る練習」を支援に組み込んだりすることも考えられます。
もちろん、この研究にもいくつかの限界があります。
まず、参加者が全員で32名と少人数であったこと。
また、そのうちASDの女性は1名だけであり、性別による違いについては十分に検討できていない点もあります。
さらに、今回の対象者は全員、IQ70以上の「高機能」と呼ばれるASDの人たちであり、より支援の必要が高い層の傾向までは反映されていない可能性があります。
それでもなお、この研究の意義は非常に大きいといえます。
社会的なやりとりが苦手とされるASDの人たちにおいて、目の動きという客観的で測定可能な指標を使いながら、「顔を見る」というごく日常的な行動の中に潜む違いを浮かび上がらせることに成功しているからです。
また、ASDの人たちが目をあまり見ないことは、必ずしも「能力の欠如」や「関心のなさ」だけではなく、過剰な不安や不快感によって避けている可能性もあります。
つまり、彼らは「見ない」のではなく、「見たくない」「見られたくない」という心の働きから目を逸らしているのかもしれません。
その視線の動きは、彼らなりのやり方で社会との距離を取ろうとする“適応”の一つとも考えられます。
そうであれば、視線のパターンに現れる違いは、単なる診断の手がかりではなく、ASDの人たちが感じている社会との関係の難しさや、自分なりのバランスの取り方を理解するための貴重な手がかりにもなるはずです。
今後は、より多くの対象者、より多様な年齢層や性別、さまざまな認知レベルのASDの人たちを対象にした研究が求められます。
同時に、視線のトレーニングや、社会的視覚情報の処理を助けるための支援技術の開発も進められるでしょう。
顔という、日常の中でもっとも身近で基本的な視覚情報に対して、どのように注意を向け、どのように感じているのか――その違いを丁寧に理解していくことが、ASDのある人たちとのよりよい関係づくりにとって重要な第一歩になるかもしれません。
(出典:Nature)(画像:たーとるうぃず)
「顔に見えるけれど顔ではない画像」研究方法が面白いですね。
- 「目」を長く見ている人ほどASDである確率は低い、
- 「口」や「顔の外側」を長く見ている人ほどASDである確率が高い
うちの子はお願いしなければ、私の目を見ることはあまりありません。
無理はしなくていいと思っています。
(チャーリー)