
この記事が含む Q&A
- 自閉症の喜びにはどのようなものがありますか?
- 音楽や自然、ルーティンや深い集中など、多様な感覚的喜びや没入体験があります。
- 「オーティスティック・ジョイ」とは何ですか?
- 自閉症の人々が感じる特有の喜びや安心感を意味し、社会と理解を深めることが重要です。
- どのように社会は自閉症の喜びを支援できますか?
- 理解と受容を促進し、静かで感覚に配慮した環境や個別の興味を尊重する社会を築くことです。
自閉症というと、一般的には「困難」や「障害」といったネガティブなイメージがつきまといます。
しかし、2025年5月、イギリスのバーミンガム大学に在籍していたエリオット・ワッセルによって発表された研究は、こうした従来の認識に一石を投じるものでした。
この論文は、学術誌『Disability & Society』に掲載され、これまで十分に注目されてこなかった「自閉症ならではの喜び=オーティスティック・ジョイ(Autistic Joy)」の存在を、当事者の声を通して明らかにしたのです。
この研究は、ワッセル自身が関わる自閉症支援団体「オーティスティック・ガールズ・ネットワーク(AGN)」の協力のもとで行われました。
調査はオンラインアンケート形式で実施され、参加者はAGNのSNS(FacebookグループやX/Twitter)を通じて募られました。
対象は18歳以上の自閉症当事者で、正式な診断を受けた人と、自分自身を自閉症であると認識している人の両方が含まれています。
最終的に集まった回答数は86名。そのうち86%が女性、10%がノンバイナリー、4%が男性と、これまでの自閉症研究では見過ごされがちだったジェンダーの多様性も取り入れられた貴重なサンプルとなりました。
アンケートは、定量的な質問と自由記述による定性的な質問の両方を含む構成となっていました。
たとえば「自分はよく喜びを感じるか」「自閉症であることに喜びを感じることがあるか」「その喜びは非自閉症の人と比べて違いがあると感じるか」などがあり、回答は7段階評価で集計されました。
さらに「何に喜びを感じるか」「なぜそれが楽しいのか」「喜びを妨げているものは何か」といった自由記述欄が用意され、それらの回答には「反省的テーマ分析(Reflexive Thematic Analysis)」という質的分析手法が用いられました。
この研究はまた、「参加型研究(Participatory Research)」の姿勢に基づいて設計されており、研究者自身も自閉症当事者としての経験を活かしつつ、他者の声にも最大限の敬意を払いながら進められました。
このアプローチにより、一般的な研究では見過ごされがちな「感覚的な楽しみ」や「没入体験」「こだわりへの愛着」といった、まさに自閉症者ならではの内的な豊かさが丁寧に拾い上げられたのです。
調査結果は、驚くべきものでした。
参加者の67%が「よく喜びを感じる」と回答し、さらに94%が「自閉症であること自体に喜びを感じる瞬間がある」と答えたのです。
これまで自閉症は「苦しみ」や「問題」として捉えられがちでしたが、多くの当事者は「自閉的な感覚や思考スタイルだからこそ味わえる喜び」を確かに感じていることが明らかになりました。
調査では、参加者が感じる喜びの背景には、共通していくつかの特徴が見られました。
とくに目立ったのは、「感覚的な喜び」「深い没入」「特定の興味へのこだわり」「安心できる環境」といった、自閉症に特有の体験です。
ある参加者は、「音楽を聴くと、体全体がリズムに包まれて、自分自身が音になるような感覚がある」と答えました。
また、ピアノを弾くと「時間も思考も消えて、ただ感情だけが残る」と語る人もいました。
こうした状態は、心理学で言う「フロー状態」と呼ばれるもので、自閉症に見られる集中傾向との関係が示唆されています。
さらに、同じ曲を何度も繰り返して聴く、電車や飛行機の型番を調べ続ける、身の回りのものを並べるといった行動も多く報告されました。
こうした行動は、従来は「問題行動」や「固執」と捉えられがちでしたが、当事者にとっては「深く満たされる幸福な時間」であることが明らかになったのです。
参加者が挙げた「喜びの源」は、とても多様でした。
たとえば、音楽・読書・研究・自然・動物とのふれあい・散歩・ヨガ・ぬいぐるみ・パートナーとの時間などがありました。
その一方で、ある人は「一人で過ごす時間こそが最高の喜び」と答え、別の人は「信頼できる誰かとだけ一緒にいる時間が好き」と語りました。
つまり、誰にとっても共通する喜びがあるというよりは、それぞれの特性と環境に合った「個別の喜び」があるということです。
ただし、こうした「喜び」を自由に感じられるわけではありません。
多くの参加者が、社会の側にある「障壁」によって、喜びが妨げられていると感じていました。
たとえば、「スティミング(手を振る、身体を揺らすなどの動き)をすると注意された」「好きなことに夢中になると変な目で見られる」「一人でいるのが好きなのに、無理に社交を求められる」といった声です。
ある参加者はこう語っています。
「私たちの特別な興味やこだわりは、他の人には理解できないかもしれない。
でも、私たちにとってはそれが生きる意味なのです。
年齢不相応だとか、変だとか言われるたびに、人生の価値を否定された気持ちになります」
研究では、こうした声を「他者の無理解による障壁」として明確に捉え、自閉症の人々が喜びを感じることを妨げているのは、自閉症そのものではなく、周囲の人々の態度や社会構造にあると結論づけています。
また、「社会がどう変われば、もっと喜びを感じられるようになるか?」という問いに対して、多くの参加者が、「もっと理解してほしい」「スティミングをやめさせないでほしい」「自分の好きなことを笑わないでほしい」と答えていました。
環境面では、「静かで刺激の少ない空間」「自然とのふれあい」「柔軟な働き方」「感覚に配慮した公共空間」などが求められていました。
ある参加者の言葉が、この研究の核心を表しています。
「私たちの喜びは、『ふつう』とはちがうかもしれない。
でもそれは、劣っているのではなく、ただ『ちがう』だけ。
私たちは、そのちがいを楽しんで生きていきたいだけなんです」
研究を通じて明らかになったのは、自閉症という特性のなかに、確かに「喜び」が存在し、それは決して例外的なことではないという事実です。
多くの人が、「自閉症であることによってこそ味わえる喜び」があると語っており、それは自然・音・色・繰り返し・一人の時間・秩序だった世界など、多様な形で表現されていました。
ワッセルは、こうした喜びの体験を「アセンブラージュ(assemblage)」という哲学的な概念で捉えています。
これは、脳の神経活動・環境・身体感覚・社会的なまなざし・使われる言葉など、さまざまな要素が組み合わさって、その人の「喜び」が立ち上がるという考え方です。
つまり、喜びは「脳のせい」でも「社会のせい」でもなく、その両方を含む「複雑な関係性」から生まれるものだということです。
このような視点は、自閉症に限らず、すべての人の「喜び」や「生き方」にも応用できる考え方です。
実際、研究では「喜びとは、安心・受容・自己決定によって育まれるもの」であり、そのためには社会の側が変わる必要があると結論づけられています。
最後に、ワッセルはこう述べています。
「自閉症の人の喜びを抑えこむのではなく、むしろそれを認め、支え、育むことができる社会にしていくべきです。
『オーティスティック・ジョイ』は、ただの幸せではなく、生きることそのものへの参加であり、『世界とのつながり』なのです」
この研究は、自閉症の人々がどのように世界を感じ、どのように幸せを見出しているのかを、これまでにない深さで明らかにしました。
そして、それは「特別な人たちの特別な喜び」ではなく、私たちすべてに問いかけるものです。
——「あなたの喜びが、誰かに否定されるようなことはありませんか?」
(出典:Disability & Society)(画像:たーとるうぃず)
うちの子がニコニコしていると、私もうれしくなります。
この研究結果を知って、ますますうれしくなりました。
たくさん、自分なりに楽しく過ごしてほしいと思います。
(チャーリー)