
この記事が含む Q&A
- 自閉スペクトラム症の人が裁判で過重な処罰を受けることはありますか?
- 研究によると、自閉症の人は反省の表現の違いから不当に重い処罰を受ける可能性があります。
- 自閉症の人が「反省している」と社会に伝えるにはどうすればいいですか?
- 多様な表現方法を理解し、適切な支援や教育を受けることが重要です。
- 自閉症についての理解を深めることが司法や社会にどんな効果をもたらしますか?
- 正しい理解が偏見を減らし、公平な判断と支援につながります。
ある行為に対して「反省している」と見なされるかどうかが、裁判の判決に大きな影響を及ぼすことがあります。
しかし、自閉スペクトラム症(ASD)のある人にとって、その「反省の表し方」自体が大きなハードルになることがあります。
今回オーストラリアの研究者たちが発表した最新の研究は、こうした背景に注目し、自閉スペクトラム症の人が裁判で不当に重い処罰を受ける可能性があるという現実に警鐘を鳴らしています。
研究を行ったのは、フリンダース大学の心理学者たちのチームです。
彼女たちは、非自閉症の人々が「反省しているように見えるかどうか」にどれほど強く影響を受けるか、そして自閉症に関する知識がその印象に変化をもたらすかを、模擬裁判の形式で検証しました。
まず研究チームは、自閉スペクトラム症のある人5人と、診断歴のない非自閉症の人5人に協力してもらい、それぞれ2つの架空の犯罪シナリオに基づいた「反省の弁」を動画で記録しました。
出演者には「この犯罪を犯し、今から裁判官に反省の気持ちを述べる状況」として演技してもらいました。
演技の内容は完全に自由で、台本は用意されず、それぞれが自分なりの言葉で反省を表現しました。
そのうえで195名の非自閉症の一般参加者にこれらの動画を視聴してもらい、「どの程度反省しているように見えたか」「どのくらい厳しい処罰がふさわしいか」を評価してもらいました。
そして動画視聴の後、参加者に対して自閉スペクトラム症に関する簡単な教育情報を提示し、もう一度同じ質問への再評価を求めました。
この一連の実験の結果、驚くべき事実が明らかになりました。
まず、自閉スペクトラム症のある人の動画は、非自閉症の人の動画と比べて「反省していない」と評価される傾向が明確に見られました。
その結果として、処罰の厳しさのスコアも高くなる傾向があったのです。
これはつまり、同じ内容を述べたとしても、自閉症のある人は「反省している」と受け取られにくく、それがそのまま不利な判断へとつながってしまう可能性を示しています。
では、自閉症に関する教育がその誤解をどれだけ緩和できるのでしょうか?
研究チームが行った「教育」の内容はとてもシンプルで、以下のような質問形式で構成されていました。
- 自閉症の人は、アイコンタクトを避けることがあると知っていましたか?
- 表情が状況にそぐわないことがあると知っていましたか?
- 他人の感情や立場を理解することが難しいことがあると知っていましたか?
- 感情表現が乏しく見えることがあると知っていましたか?
こうした情報を提示したところ、参加者の一部には変化が見られました。
具体的には、自閉スペクトラム症のある人が「より反省しているように見える」と評価を変える人が増え、それにともない処罰の厳しさもやや緩和される傾向がありました。
研究チームはこれを「教育による間接的な効果」と呼んでいます。
しかし、この教育によってすべての問題が解決するわけではありませんでした。
教育後もなお、自閉スペクトラム症のある人は「反省していない」と評価されがちであり、処罰の厳しさも依然として高めに設定される傾向が残っていたのです。
つまり、今回の研究が示す最も重要なポイントは、自閉症のある人にとって「反省の気持ちをどう表すか」が重大な意味を持つ場面で、社会の側がその表し方を正しく理解していなければならないということです。
自閉症のある人が一般的な「反省のサイン」(たとえば涙を流す、目を伏せる、謝罪の言葉を強く述べるなど)をうまく使えなかった場合、それだけで「反省していない」と誤解され、不利な立場に置かれるのです。
この問題は単に心理的な誤解ではなく、法的な不利益にも直結します。
たとえばオーストラリアの南オーストラリア州では、「反省の有無」が判決の際に考慮されることが法律で定められています。
そのため、同じ犯罪であっても「反省しているように見えるかどうか」によって、判決の重さが変わってしまうのです。
さらに今回の研究では、「教育のタイミング」も重要な要因として指摘されています。
参加者の多くは、動画を見たあとに教育情報を提示されました。
つまり、すでに「この人は反省していない」と思った後に「実は自閉症の人は反省の表し方が独特なんです」と教えられる形です。
この順番では、人の第一印象を変えるのが難しい可能性があります。
研究チームは、今後は教育を先に行い、そのうえで判断を求める方が、より公平な評価が得られるかもしれないと指摘しています。
また、演技者による表現の違いも、評価のばらつきに影響を与えた可能性があります。
すべての自閉スペクトラム症のある人が同じように反省を表現するわけではなく、個人差は大きいのです。
研究チームは、今後さらに多様な表現のスタイルと、評価する側の受け取り方の関係を分析していく必要があると述べています。
この研究にはいくつかの制約もあります。
たとえば、実際の裁判と違い、この研究で使われたのはあくまで「模擬裁判」であり、一般市民が短時間の動画を見て判断するという形式です。
実際の裁判では証拠や証人、背景事情などが加わりますし、判決を下すのは専門の裁判官です。
したがって、この研究の結果がそのまま現実の法廷に当てはまるとは限りません。
しかし、少なくとも「人はどう判断するか」という心理の傾向を明らかにしたという点では、非常に意義深い内容といえるでしょう。
また、参加者の大半が女性であった点、自閉スペクトラム症のある人の動画のうち男性が多かった点も、評価に影響を与えている可能性があります。
性別による表現の違いや、それを受け取る側のバイアスも今後の研究で考慮すべき課題とされています。
最後に、今回の研究は希望も示しています。
それは、「教育が効果を持ちうる」ということです。
完全に誤解をなくすことはできなくても、自閉症についての理解を深めることで、不当な評価を少しでも軽減できる可能性があるのです。
裁判官、陪審員、弁護士、警察官など、司法に関わるあらゆる人たちが、自閉症の特性を正しく理解することが、より公平な社会をつくる第一歩になります。
「見た目で判断しないこと」「反省の仕方にも多様性があること」「そしてその違いを知ることの大切さ」
――今回の研究は、司法の場にとどまらず、社会全体に広く問いかけを投げかけているようです。
(出典: Journal of Autism and Developmental Disorders)(画像:たーとるうぃず)
面白い研究です。
しかし、それは「模擬裁判」であるからそう思えるわけで、
現実の社会において「反省」しているのに、多くはそう捉えられないのだとしたら、深刻で恐ろしいことです。
自閉症について、多くの人に正しく理解されることが、どれだけ必要なことなのかよくわかります。
(チャーリー)