この記事が含む Q&A
- 教室で最も大きな負担となる感覚は何ですか?
- 音で、突然鳴る音や高い音、背景の雑音が多くの子どもにストレスになりやすいと示されています。
- インクルーシブ・デザイン原則で特に重視されている点は whatですか?
- 音の予測可能性を高めるゾーニングや吸音素材の活用、距離を調整できる家具配置、選べる環境を用意することです。
- 「選べる環境をつくること」がなぜ重要なのですか?
- すべての人が使いやすく安心して過ごせるよう、音・触覚・温度などの工夫を小さく積み重ねて対応することが基本だからです。
私たちが暮らしている家、学校、仕事場、そして日々立ち寄る施設やお店など、生活の中にあるさまざまな建物は、見慣れた存在でありながら、それぞれが独自の音や素材、光、温度を持っています。
ふだんは意識しなくても、エアコンの音がどこかで鳴っていたり、机の角が少し鋭かったり、床材が硬かったり柔らかかったりします。
こうした小さな違いは一般的には気づかれにくいものですが、感覚のちがいを持つ人にとっては、大きな負担にも、安心にもなり得る重要な要素です。
今回紹介する研究は、そうした「環境の小さな差が、生活にどのような影響を与えるのか」を、生活の現場を丁寧に見つめながら明らかにしたものです。
研究を行ったのは、米テキサス工科大学、カナダ・ファンショーカレッジ、米ルイジアナ州立大学に所属する研究チームで、建築デザインやインテリア、ヒューマンファクターの専門家たちが協力して進めました。
人が安心して暮らせる空間を考えるため、すべての作業が「実際の生活の流れに近いかたち」で設計されている点が、この研究の大きな特徴です。
研究は二つの大きな段階に分かれて行われました。
最初の段階では、特別支援教育の現場で働く教師たちが対象となりました。
子どもたちが日常的に過ごしている教室で、どのような感覚刺激が困りごとのもとになるのかを理解するために、簡単なアンケートではなく、丁寧に話し合うことから始められました。
まず、教師や支援に関わる職員など11名が集まり、教室の中で起こっている感覚的な課題について自由に話し合う「フォーカスグループ」が行われました。
そこでは、予測できない音が子どもたちを驚かせてしまうこと、机や椅子の硬さが落ち着かない理由になること、光のちらつきが注意をそらしてしまうことなど、日々の体験に根ざした声が多く挙がりました。

この話し合いをもとに、研究チームはより多くの教師に向けたアンケートを作成し、州全体の特別支援教育に携わる546名が回答しました。
扱われたのは、音、光、温度、触覚、素材、人との距離、家具の形状など、教室に存在するあらゆる感覚要素です。
統計ソフトを用いて分析された結果、教室で最も大きな負担となっているのは「音」であることが明確に示されました。
とくに、突然鳴る音や高い音、背景に常にある雑音は、多くの子どもにとって強いストレスになりやすいことが確認されました。
次に大きなテーマとして浮かび上がったのは「触覚」でした。
椅子の硬さ、机の表面のざらつき、床の質感、服の素材、ほかの子どもとの距離など、触覚にかかわる多くの要素が、落ち着きや集中に影響していることがわかりました。
教師たちから寄せられた声には、「見た目が硬そうに見えるだけで、その椅子に座ろうとしない子がいる」「触れられることが苦手で、距離が近くなるだけで不安になる子がいる」など、日常場面での具体的な経験が数多く含まれていました。
研究の第二段階では、こうした感覚的な課題が、成人の生活の中でどのように現れるのかをより深く理解するため、生活支援付きの共同住宅に暮らす58名の成人が参加しました。
対象となったのは、自閉症、ダウン症、知的障害などを持つ人たちで、年齢は21歳から71歳まで幅広く、日常の行動がどのように環境によって形づくられるかを丁寧に調べることが目的でした。
この段階で用いられた方法は、アンケートのような一方向のものではなく、本人の生活を尊重しながら多面的に感覚体験を拾い上げる工夫が重ねられています。
まず行われたのは、調理や洗濯、休憩、移動などのいつもの行動をそばで観察し、同時に本人への簡単な質問を重ねる半構造化インタビューでした。
ここでは、家電の音にどう反応するか、どの場所で落ち着くか、どんな素材を避けるかといった具体的な行動や感覚の癖が記録されました。
さらに、住宅内のさまざまな場所の写真をiPadで提示し、「どの部屋が好きですか」「どこが落ち着きますか」と尋ねる取り組みも行われました。
この写真選択の方法によって、柔らかい素材、穏やかな光、整理されたスペースがより好まれる傾向があることが明らかになりました。
逆に、光が強すぎたり家具が乱雑に置かれた部屋は、不安や落ち着かなさにつながりやすいこともわかりました。

またこの研究では、住民自身がインスタントカメラを使って「好きな場所」や「気になる場所」を撮影するフォトボイスという方法も用いられています。
これは、第三者の視点ではなく本人の目線から環境を捉えるための工夫であり、どのような場所に注意が向き、どんな感覚が安心につながっているのかを理解する貴重な手がかりになります。
実際に住民が撮影した写真には、静かな外の空間、柔らかいソファ、光が均一な部屋、温度がちょうどよい寝具などが多く含まれていました。
写真という形で記録された本人の選択は、その人にとっての「心地よさの指標」を直接表しているとも言えます。
さらに、生活支援に関わるスタッフや管理者へのインタビューも行われ、住民の行動を日常的に見ている立場から、環境が引き起こす困りごとや改善したい点が共有されました。
彼らの多くは、「外に出られる静かな場所の重要性」「音を吸収する素材の必要性」「距離を取りやすい家具配置」「温度を個別に調節できる仕組み」などを挙げており、これらの指摘は住民自身の体験と一致していました。
こうした多層的な調査によって、研究チームは感覚に特徴のある人の生活が、環境によってどれほど左右されているかを具体的に把握することができました。
とくに「音」と「触覚」は、どの現場でも繰り返し現れたテーマであり、日常の中で見逃されやすい負担が数多く発見されています。
たとえば、音については「予測できない音」がもっとも大きなストレスになる傾向が強く示されていました。
これは子どもでも大人でも同じで、音そのものよりも「いつ鳴るかわからない」という不安が強い負担になります。
機械音、振動音、換気扇の低い音、蛍光灯のノイズなど、静かな環境でも常に続く音も不快になりやすく、その音が背景にあるだけで落ち着けない人も少なくありません。
聴覚の特性は人によって幅があり、敏感で痛いほどに感じる人もいれば、鈍感で大きな音に無頓着な人もいます。
また音を求める傾向にある人は、刺激を得るために自分で音を出したり、にぎやかな環境を好んだりします。
これらは単なる反応ではなく、その人の行動を支える感覚の特徴です。
触覚についても、敏感さ・鈍感さ・求める傾向の三つが幅広く存在します。
敏感な人は、椅子や服の素材が合わないだけで落ち着かなくなり、角張った家具やざらつく面を避ける傾向があります。
鈍感な人は、より強い圧や重さを求めることがあり、固い壁や床に触れたがることもあります。
求める傾向がある人は、重みのあるブランケットや柔らかい素材を心地良いと感じ、強めの感覚刺激が安心につながることがあります。
このような感覚の違いを理解した上で、研究チームは六つの感覚(聴覚・視覚・触覚・味覚・嗅覚・運動感覚)それぞれに対して、生活を支えるための「インクルーシブ・デザイン原則」をまとめました。
この論文でとくに詳しく示されているのは、「音」と「触覚」のデザイン原則です。

音に関する原則では、まず「予測できること」が重要視されています。
静かな空間と音の出る空間をあらかじめ分ける「音のゾーニング」、壁や天井に音を吸収する素材を使うこと、機械音の少ない照明や空調を選ぶことなどが効果的です。
また、音に鈍感な人や音を好む人のためには、音楽や自然音を楽しめるスペースがあると、行動を自分で調整できる選択肢になります。
イヤーマフやヘッドホンのような「自分で音をコントロールできる道具」が使えるようにしておくことも、本人の安心につながります。
触覚に関する原則では、「柔らかさ」「距離」「温度」「安全性」が鍵になります。椅子やソファを柔らかい素材にする、角を丸くしておく、床材を適度に柔らかくするなどの工夫は、敏感な人にとってストレスを軽減し、安全性も高めます。
人との距離に敏感な人のためには、席の配置を工夫し、必要に応じて距離を確保できるレイアウトにすることが効果的です。
温度の調整も重要で、寒暖差に敏感な人にとっては小さな温度変化が行動に大きな影響を与えるため、個別に温度を調節できる設備や、重みのあるブランケットなどを選択肢として用意することが安定につながります。
研究チームは、これらのデザイン原則が「特別な人のためだけの対策」ではなく、「すべての人にとって使いやすくなる工夫」であることを強調しています。
たとえば、静かな小部屋は、感覚に敏感な人だけでなく、集中したい人や落ち着きたい人にも役立ちます。
角の丸い家具は、触覚の敏感な人だけでなく、子どもや高齢者の安全にも寄与します。
音のゾーニングは、学習や仕事の効率を上げる効果があります。
つまり、感覚の理解をもとにした環境づくりは、多様な人々が共に生活する上での「土台」をつくるものなのです。
研究の大きな意義は、こうした知見が机上の理論ではなく、「生活そのもの」から導き出されたものである点です。
観察された行動、本人が語ったこと、スタッフが日々感じている課題、本人が撮影した写真。
それらすべてが重なり合うことで、環境が人の感覚と行動にどのように働きかけているのかを、立体的に理解することができました。
感覚の特性は個人によって大きく異なります。
まったく同じ環境でも、ある人には心地良く、別の人には落ち着かないことがあります。
そのため、研究チームは「ひとつの理想像を押しつけるのではなく、選べる環境をつくること」が重要だと述べています。
音を減らすだけでなく、音を楽しめる場所も設ける。
柔らかい素材を用意するだけでなく、固い素材を安心と感じる人も選べるようにする。
距離を保てる場所と、人との交流が自然に生まれる場所をどちらもつくる。
このように「選択肢」を空間に組み込むことが、インクルーシブな環境づくりの基本になります。

感覚の世界は、目に見えにくく、理解されにくいことが多いものです。
しかし、その影響は日常のすべてにしみ込んでおり、ちょっとした変化が生活の質に大きな違いを生むことがあります。
今回の研究は、音や触覚のようなごく身近な感覚が、どれほど強く心と行動に影響するのかを示し、その理解が生活を少しやさしくするための第一歩になることを伝えています。
研究チームは、今後も視覚や嗅覚、運動感覚など、他の感覚についても同じように調査を進める予定です。
この取り組みが広がれば、家や学校、職場といった日常の空間が、より多くの人にとって安心して過ごせる場所になるでしょう。
感覚への理解は、特別な支援ではなく「誰もが無理をしないでいられる環境」をつくるための基盤です。
そして、その基盤づくりは難しいものではありません。
小さな工夫の積み重ねで環境は変わります。
音を少し減らす、柔らかい素材を選ぶ、温度を調節しやすくする、距離を取れる配置にする。
こうしたささやかな配慮が、誰かの「ここなら大丈夫」という感覚を支え、生活の安心につながっていきます。
今回の研究が示したのは、環境のつくり方によって、生活がもっと過ごしやすくなるという希望です。
環境が人を支える力は想像以上に大きく、その力を活かすためには感覚の理解が欠かせません。
私たちが暮らす空間を少しずつ整えていくこと。それが、多様な人々が安心して暮らせる未来に向けた確かな一歩となるのだと、この研究は語っています。
(出典:Journal of Autism and Developmental Disorders DOI: 10.1007/s10803-025-07156-5)(画像:たーとるうぃず)
まったく同じ環境でも、ある人には心地良く、別の人には落ち着かないことがある。
「ひとつの理想像を押しつけるのではなく、選べる環境をつくること」が重要。
音を減らすだけでなく、音を楽しめる場所も設けるなど。
徹底するのなら、ただ、「静かな部屋」を作ればいいということではないのですね。
(チャーリー)




























