この記事が含む Q&A
- 自閉症とうつの関係はどのように示されていますか?
- 特性自体がうつを生むのではなく、社会との関わり方や理解の有無など環境要因が影響します。
- うつを防ぐために環境がどんな工夫をすべきですか?
- カモフラージュを強要しない時間、感じ方を責めない場、寄り添う相手、休める空間、好きなことに没頭できる時間、差異を認める社会が有効です。
- 回復・予防につながる具体的な関わり方は何ですか?
- 小さな支援を積み重ね、言葉がなくても横に座る、気持ちを聴く、得意を伸ばす、違いを咎めない環境づくりが大切です。
自閉症のある人たちの中には、日常を生きるほど心が疲れ、深いうつへ沈み込んでしまう人が少なくありません。
アメリカのボウドイン大学、スタンフォード大学医学部、イェール大学医学部が共同で進めた研究では、自閉症とうつがどのようにつながり、どのように積み重なっていくのか、その道のりが丁寧に整理されています。
自閉症のある人が生涯のうちに「うつ」を経験する割合は、一般の人々よりずっと高い数値で示されていました。
世界で見られる平均は約3.8%。けれど自閉症では11〜37%。
数字の差は単純ではありません。
「気分が沈む」「やる気が出ない」といった症状だけでなく、内面の変化が目に見えにくいこと、支援や理解へ手が伸びにくいこと、そして気持ちをことばにする難しさが折り重なります。
自閉症とともに生きる人の半数近くには、自分の感情をうまくことばに置き換えられない「アレキシサイミア」という状態が見られることがありました。
たとえば胸の奥が苦しいのに、その感覚に名前がつかない。
悲しいのに、悲しいと言えず、表情や行動にもうまくのらない。
そのまま過ぎた時間は、まわりの人から「元気そう」「変わらないね」と見え、助けが届かないまま積み上がってしまうことがあります。

しかし、苦しみの始まりはひとつではありません。
日常の刺激に疲れてしまう感覚の負担。
人と関わるときに生まれるぎこちなさ。
興味の幅や深さの違いから起こるすれ違い。
それは静かに、でも確かに、心の奥へ降り積もっていきます。
感覚が強く入ってきすぎると、外に出るだけでひどく疲れることがあります。
音が大きい、光がまぶしい、服の肌触りが痛い。
学校や職場で周りに合わせようとすると、休む間もなく防御し続けなければいけません。
疲れは、人と関わる気力を少しずつ奪い、外の世界から距離を取る時間が増えます。
すると孤独が強くなり、人が怖くなることもあります。
それでも、「関わりたい」「受け入れられたい」という気持ちは心の中で確かに息づいています。
そこで多くの人が選ぶのが「カモフラージュ」―― 特性を見えないように装うこと。
同じように振る舞う。相手に合わせる。違いを隠す。
無理をしてがんばれば、会話が続いたり、仲間に見えたり、笑顔を返してもらえる瞬間が増えます。
だけど、その代わりに失われていくものがあります。
本当の自分の輪郭です。
カモフラージュを続けると、自分が誰なのかが少しずつわからなくなります。
どこまでが自分で、どこまでが「周りのための演技なのか」。
その曖昧さが苦しさを生み、自分を好きでいることが難しくなることもあります。
「本音を見せて嫌われたら終わりだ」という怖さが強くなればなるほど、外では笑顔のまま、内側だけが静かに弱っていきます。

この研究では、自閉症の特性そのものがうつを作るわけではないことが示されています。
特性と社会の関わり方、周囲の理解、誤解、期待、評価。
そこに段差があるとき、人はつまずき、傷つき、心が摩耗していきます。
感覚の過敏さは、刺激を避けられる環境があれば力になります。
深い興味の集中は、理解されれば創造力となり、専門性となります。
けれど理解がなければ「こだわりすぎる」「融通が利かない」と扱われます。
意図していない評価が、自己肯定感を削いでしまうことがあります。
興味の幅が狭いことは、好きなことを深く学べるという強みでもあります。
ただ、それ以外の選択肢が与えられない場にいると「周りと違う」と気づかされる時間が増えます。
違いを指摘され、直そうとされ、できないことを比べられる経験が続くとき、うつへの道はゆっくり近づきます。
学校での「空気を読む」文化。
職場での「柔軟さ」「協調性」の評価。
会話に参加できないとき、沈黙が誤解されることがあります。
言葉がうまく出ない時間が責められたり、目を合わせないことが冷たさとして受け取られたり。
その誤解は、本人の努力不足ではなく、コミュニケーションの形の違いから生まれたものです。
自閉症とうつのつながりは一本道ではなく、いくつもの流れが合流する川のようです。
川を生む支流は6つ――
感覚の負担、社会的ストレス、 カモフラージュ、孤独、自己評価の低下、将来への不安。
それぞれは独立ではなく、互いに増幅しながら大きな流れを作ります。
刺激に疲れた日、誰とも話さず帰る。
孤独が深まった日、好かれたいと思い文字を何度も書き直す。
自信を失った夜、眠れず次の日が怖くなる。
その積み重ねはある日限界に達し、「何もしたくない」「消えたい」という声に姿を変えます。

ただ、流れがあるなら、そこに橋をかけることもできるはずです。
研究には回復や予防の可能性も示されています。
- カモフラージュを必要としない時間
- 感じ方の違いを責めない場所
- 言葉にできなくても察しようと寄り添う相手
- 疲れたら静かに休める空間
- 好きなものに夢中でいられる時間
- 「違ってもいい」と伝えてくれる社会
強い特性は弱みにも、武器にもなります。
選べないのは本人ではなく、環境のほうです。
環境が許せば、人はゆっくりと回復します。
自分の感情に名前をつけられないなら、一緒に見つける人が必要です。
孤独がつらいなら、ひとりにならなくていい場所が必要です。
比べられて苦しいなら、比べない関係が力になります。

未来が怖い日があってもいい。
うまく話せない夜があってもいい。
休むことは後退ではありません。
歩く速度は人の数だけ違っていいのです。
自閉症とうつ――二つの言葉の間には、ただ傷つきやすい心があるだけです。
その心に触れるとき、必要なのは治すことより理解すること。
整えたいのは本人ではなく、まわりの環境。
その環境が優しいものであれば、うつへの流れは止まり、別の道へ進めます。
違いを尊重することは難しくありません。
ただ「そういう感じ方をしているんだね」と言えばいい。
異なる感覚や行動を“誤り”とみなさず、“その人の形”として受け止めるだけでいい。
自閉症を持つ人の心は、誰よりも繊細で豊かです。
深く考え、深く感じ、深く覚えていることがあります。
それが世界に肯定されたとき、その人はまっすぐに伸びていきます。
抑え込まれた芽は光に触れ、誤解に覆われた翼は風を取り戻します。
うつを防ぐ鍵は、「違いが咎められない環境」にあります。
他者に合わせなくても愛される場所。
疲れたときに隠れなくていい時間。
自分の好きを語っても笑われない関係。

環境が人を傷つけることがあるなら、環境が人を救うこともできます。
支援とは大きなことではなく、小さな積み重ねです。
言葉がなくても横に座ること。
見た目ではなく気持ちに耳を澄ますこと。
苦手を責めず、得意を伸ばすこと。
「変わるべきなのは本人ではなく世界」
この研究が丁寧に示しているのはその一点です。
違いを抱えたまま笑って生きられる社会なら、うつの流れは弱まり、隠すより表現し、怯えるより安心し、自分のままで生きていける未来へつながります。
その未来は、大きな制度改革の先ではなく、
家庭での一言、学校の一席、職場の一対応、友人の一まなざし。
とても小さな場所から始まっていきます。
自閉症のある人がその人の形のまま生きられる社会へ。
うつへ傾く川をそっと別の方向へ流すために。
今日この文章を読んだ誰かの関わりが、そのはじまりになるかもしれません。
(出典:healthcare DOI:10.3390/healthcare13233112)(画像:たーとるうぃず)
「異なる感覚や行動を“誤り”とみなさず、“その人の形”として受け止める」
そのとおりです。
まさにこれが相手を尊重するということだと思います。
(チャーリー)




























