- 「『高機能自閉症』という言葉は適切なのか?」
- 「支援やサービスの提供において『高機能自閉症』という分類は適切か?」
- 「『高機能自閉症』という言葉の使用は、自閉症の人々にどのような影響を与えるか?」
「高機能自閉症」という言葉は、80年代に、自閉症をかかえるものの知的障害はない人を指す言葉として作られました。
診断名ではありませんでしたが、日常的に使われる言葉に潜り込むうちに、一種の医学的見解として言及されるようになりました。
不快な言葉であるだけでなく、不正確であり誤った情報につながることから、この言葉の利用に反対する声がずっとあります。
豪テレソン・キッズ・インスティテュートと西オーストラリア大学の研究者たちは、自閉症に関する調査を行いました。
2225人の子どものうち、「高機能自閉症」となる(知的障害に分類されない)子どもたちは、機能的な能力がIQの予想平均値以下した。
一方、「低機能自閉症」の子どもたちは、同じ係数を用いて予想される能力により近い能力を持っていました。
研究チームのリーダーであるゲイル・アルバレス博士はこう言います。
「知的障害のない人たち、つまり古典的には『高機能自閉症』と呼ばれる人たちが、実際には、IQから期待されるものと比べて、日常的なスキルに著しい課題があることが明らかになりました」
年齢相応のIQを持つ自閉症の子どもや若者の多くは、日常生活を送る上で問題を抱えています。
「例えば、学校への通学、公共交通機関の利用、同級生と同じレベルのコミュニケーション、その他必要な行動などでです」
自閉症の人たちを指して気軽に「高機能」という言葉を使うことは、このカテゴリーの人たちは問題がない、支援を必要としないという誤ったイメージを与え、彼らの困難を見えなくしてしまいます。
より深刻な問題は、政策立案者が、ケースバイケースで綿密な評価を行うのではなく、誰がサービスや支援、資金援助を受けるべきかを決めるために、この分類を気軽に使ってしまっていることだと、とテレソン・キッズの教授で研究者のアンドリュー・ホワイトハウスは言います。
しかし、「高機能」と指定された人たちにとって、おそらく最も負担が大きいのは、発達障害をかかえていないかのように社交し、世界を渡り歩くという精神的・感情的な負担でしょう。
「エレベーターを待っているあなたの隣に立っていたら、私は世間話をして微笑むので、自閉症だとはわからないでしょう」
作家でありニューロダイバージェントのスポークスマンでもあるクリスティン・M・コンドのこの体験談は、私たちが思いもよらない日々の自閉症の人の生活について、心に響く、そして明らかになる視点を提供してくれています。
「高機能自閉症」の人が自分の空間や周囲の人たちとする一つ一つのやりとりは、発達障害でない人の行動を徹底的に観察した結果です。
社交のために最も最適な行動を繰り返し、練習し、他人の迷惑や有害な反応を発生させないために自然な自分を抑制しています。
発達障害でない人たちにあわせて生きていくためにしているこの感情的な投資は、大きなものです。
この感覚は、私たちが「高機能自閉症」と呼ぶ多くの人たちが常に体験しているものです。
「高機能」と呼ぶことで、私たちは自閉症の異なるスペクトルの人たちを恣意的に線引きし、私たちが「低機能」と分類する他の程度の知的障害を持つ人たちを不利に扱うことにもなります。
自閉症の人たちが十分な知的能力をもっていてもかかえている、認知や大脳の違いを見えなくもしているのです。
自閉症の人が発達障害でない人たちの行動を模倣することは、私たちが考える以上の努力の結果なのです。
「高機能」という言葉は、これを忘れさせます。
この言葉は私たちの語彙から取り除くべきです。
(出典:メキシコInstitute for the Future of Education)(画像:Pixabay)
うちの子はこれに従えば「低機能」なので、多くの人にそうだと認識されますが、
「高機能」な人は困難をかかえていても、正しく認識されず誤解されることは想像できます。
そして、その誤解によってより困難になってしまうことも。
(チャーリー)