
この記事が含む Q&A
- 中国におけるASDのある子どもを育てる親の感情にはどのような特徴がありますか?
- 文化的な責任感や世間体への重圧とともに、苦しみや葛藤、孤立感が深く現れます。
- 「子どもが“普通”になることを諦めきれない」と感じる親の願いは何ですか?
- 子どもに社会的に受け入れられる存在になってほしいと願い、回復や普通の生活への期待を持っています。
- 中国の親はASD支援においてどのような課題に直面していますか?
- 行政支援や教育資源の不足、精神的支援の難しさや孤立感が主な課題です。
自閉症スペクトラム症(ASD)のある子どもを育てるということは、どの文化圏においても大きな試練であり、ときに深い悲しみや葛藤をともないます。
しかし、中国という特有の文化的背景のなかで、その経験はより複雑で、時に重く、言葉になりづらい感情を引き起こすものであることが、今回の研究によって明らかになりました。
中国の北京に在住するASDのある子どもの保護者5名(父親3名、母親2名)に対して行った、首都師範大学らの研究チームの質的調査に基づいた研究です。
研究者たちは、これらの保護者との個別インタビューを通じて、その内面的な感情や、親としてどのように子どもと向き合っているのかを丁寧に掘り下げていきました。
研究の参加者はいずれも、子どもが3歳前後でASDと診断された保護者であり、診断後も治療や療育に熱心に取り組み続けている人々です。
子どもの障害の重症度は軽度から重度までさまざまでした。
参加者の語りからは、中国社会における親としての責任、世間体、そして将来への不安が入り混じった、複雑で切実な思いが浮かび上がってきました。
インタビューから導き出された4つのテーマは、彼らの体験をよく表しています。
まず1つ目のテーマは、「子どもが“普通”になることを諦めきれない」というものです。
多くの保護者は、わが子が他の子どもと同じように学校に通い、友だちをつくり、社会の一員として生きていくことを強く願っていました。
ある父親は「授業中に静かに座って先生の方を向いていられるだけで十分」と語り、母親は「感情をぶつけるかわりに、沈黙という手段でもいいから自分の意思を表してほしい」と話していました。
こうした願いは、やがて「完全な回復」への期待につながります。
短期間の治療で改善するのではないか、春が来れば症状が消えるのではないかと、非現実的な希望にすがったことがあると、多くの保護者が語っています。
そして、その希望が打ち砕かれるたびに、心に深い傷を負っていきます。
2つ目のテーマは、「子どもの発達が親の期待を裏切るとき」です。
保護者たちは、子どもの言語や感情の乏しさ、予測不可能な行動に、どう向き合っていいのか分からず、強い無力感を抱えています。「声をかけても無反応」「目が合わない」「感情的なつながりを感じられない」といった声が相次ぎました。
ある母親は「息子とは“2つの生き物がお互いを探っているような関係”」だと表現し、自らの母親としての未熟さを責めていました。
また、子どもが突然激しく泣き出したり、感情を爆発させることも多く、保護者は常に不安定な状況にさらされています。
「数秒前まで一緒に詩を読んでいたのに、突然手がつけられなくなる」といった語りもありました。
3つ目のテーマは、「診断を受け入れるまでの感情の段階」です。
診断を受けた直後、多くの保護者は「怒り」「否定」「回避」といった感情に襲われました。
その後、徐々に「悲しみ」「恐れ」へと移り、最終的には「受容」へと至っていきます。
しかしこの過程は一様ではなく、いつまでも否定感情が残ることもあるといいます。
ある父親は「“自閉症”という言葉を口にしたくない」と話し、別の父親は「何度も子どもを叱ってしまい、そのたびに後悔している」と語りました。
こうした矛盾した感情の存在を、研究者は「パラドックスの抱擁」と表現しています。
「我が子を受け入れたい」と思う一方で、「どうしてこんなことに」と悔やみ、「回復を信じたい」と願いながらも、「この先も治らない」と落胆する。その繰り返しの中で、親たちは日々葛藤を抱えながら生きています。
4つ目のテーマは、「与えられた人生を耐えること」です。
ASDをもつ子どもと生きるということは、保護者にとって終わりのない試練です。
日々の生活は子ども中心に回り、自由な時間も、将来の計画も、すべてが制限されます。
多くの親が「自分という存在を失った」「もはや自分は自分ではない」と語っています。
保護者の中には、療育に莫大な費用と時間をかけ、子どもをあらゆる療法に通わせている人もいます。
なかには「子どもと向き合う体力も気力も残っていない」として、可能な限り専門家に委ねている保護者もいました。
また、親の愛情が必ずしも伝わるわけではないことにも、心を痛めていました。
「どんなに努力しても、子どもは私を求めていないように見える」「私は本当に母親なのか、自信が持てない」といった声は、聞いていて胸が苦しくなるものでした。
中国の伝統的な価値観では、子どもは家の誇りであり、将来を託す存在とされます。
しかし、ASDの子どもはその期待に応えることが難しく、親は「自分のせいで子どもがこうなった」と自責の念にかられます。
また、家族や親戚からの無言の圧力や、世間の偏見によって、さらに心を閉ざしてしまうことも多いのです。
研究では、こうした背景から、中国の保護者は西洋の保護者とは異なる苦しみを抱えていると指摘されていました。
西洋では、個人の多様性や自立を重んじ、ASDも「神経の多様性」として受け入れようとする文化が根づいています。
しかし、中国では今もなお「病気」や「障害」として否定的に捉えられがちであり、「恥」として隠そうとする傾向も残っています。
このような文化の違いは、子育てのあり方にも影響を与えています。
中国の「良い親」とは、子どもの問題を自らの問題と捉え、どこまでも責任を負い、尽くすことが期待されます。
ときには、子どもが何かを言う前に先回りして行動し、子どもが困る経験を排除しようとする親もいます。
しかし、それが逆に子どもの発達を妨げてしまう可能性があることには、なかなか気づけないのです。
また、保護者たちは、必要な支援を受けることが難しいという問題にも直面しています。
中国では、ASDに対する行政支援や教育リソースがまだ十分ではなく、多くの親が家族内での支えに頼らざるをえません。
しかしその「自己完結型」の支援体制は、保護者の孤立を深め、精神的な限界を引き起こす危険性をはらんでいます。
本研究は、中国の保護者たちが抱える「声なき声」を掬い上げた、きわめて貴重な記録です。
そこには、感情のゆらぎ、文化の影響、支援不足、そして親としての誇りと葛藤が生々しく描かれていました。
研究者たちは、今後、こうした保護者の声を社会全体が理解し、共感し、具体的な支援につなげていく必要があると提言しています。とくに、メンタルヘルス支援やストレス対処法の研修、教育的支援に関するアドバイスなど、文化的背景に即した支援が求められています。
そしてなによりも、「親たちが安心して涙を流せる社会」「声を上げても非難されない社会」が実現することが、子どもたちの未来にもつながっていくのです。
この研究は、中国におけるASD育児の「現実」を、余すところなく伝えるものでした。
その姿は、文化を超えて、すべての親の心に響くものであり、深い理解と支援の必要性を私たちに改めて問いかけています。
(出典:frontiers)(画像:たーとるうぃず)
私は小さな頃から、うちの子がニコニコ笑顔を見せてくれるたびに、すごく幸せだと感じています。
正直、辛いと思った記憶もなく、幸せに過ごしてきました。本当にありがたく思います。
「2つの生き物がお互いを探っているような関係」
これは、すごくよくわかります。
(チャーリー)