
この記事が含む Q&A
- 犬にもADHDの特性があると診断されることはありますか?
- はい、研究により犬の中にも注意欠如・多動性・衝動性の特性が認められることが判明しています。
- 犬のADHD的特性を評価する基準は何ですか?
- 「DAFRS」というアンケートによる症状と機能障害の評価尺度を用います。
- 犬の行動が環境や文脈によって変わることは何を示していますか?
- 行動の評価や意味は環境や状況により変化し、慎重な判断が必要であることを示しています。
犬と暮らしていると、「この子、落ち着きがないな」とか「なんでこんなに衝動的なんだろう」と感じることがあるかもしれません。
実際、犬にも「不注意」「多動性」「衝動性」など、人間でいえばADHD(注意欠如・多動症)に近い特性を示す個体がいます。
けれど、私たちはそうした犬の行動を「しつけの問題」や「性格」と片づけてしまいがちです。
その裏に、もっと深い行動の仕組みがあるとしたら──。
今回、ハンガリー・エトヴェシュ・ローランド大学と自然科学研究センターによる研究チームは、人間のADHD診断に用いられる方法論を応用して、家庭犬におけるADHD的特性を評価し、リスクのある犬を見極める新たな手法を開発しました。
この研究の重要性は、犬という「身近で共に暮らす存在」を通して、人間の発達的多様性を再考する手がかりになる点にあります。
ADHDは、人間の発達障害のなかでもっともよく知られているものの一つであり、子どもでは5〜9%、成人では2〜4%が該当するとされます。
診断では「不注意」「多動性・衝動性」という2つの主要な領域における症状の有無と、それによる社会的・学業的な機能障害が問われます。
研究チームはこの診断概念を犬にあてはめるため、家庭犬1872頭を対象に調査を行いました。
使用されたのは、研究者たちが開発した「DAFRS(Dog ADHD and Functionality Rating Scale)」というアンケート形式の評価尺度です。
この尺度は大きく2つのパートから構成されます。
1つは「症状パート」で、犬の不注意・多動性・衝動性について、オーナーが合計17項目の質問に答えます。
それぞれの質問は、「その行動がどれくらい頻繁に見られるか」を0(まったくない)〜3(非常に頻繁)の4段階で評価します。
もう1つは「機能障害パート」で、それらの行動が犬の生活の中でどのような支障を生んでいるかを問う内容です。
たとえば「衝動性によって家での問題行動が起きているか」といった質問に対して、「関係ない」から「大きく関係している」までの4段階で評価します。
この研究で注目すべきは、単に「ADHD的な行動があるかどうか」を調べるのではなく、「その行動が実際に生活にどのような影響を与えているか」に踏み込んで評価している点です。
まず研究チームは、生活の中で「中程度以上の支障」が7問中4問以上あった犬を「機能障害あり」と分類しました。
そのような犬は116頭(全体の6.2%)でした。
なかでも、衝動性による機能障害が最も多く見られ、次いで多動性、不注意の順でした。
次に、これらの分類をもとに、症状スコアとの関係を統計的に分析し、「ADHD的特性が強い」とされるカットオフスコアをROC曲線という手法で設定しました。
その結果、ADHDスコアが26点以上の犬は、ADHDリスクが高いと判定されました。
最終的に、症状スコアが26点以上かつ、生活上の機能障害が認められた犬は、全体の4.2%(79頭)でした。
これは、人間の成人におけるADHD有病率(2〜4%)と非常に近い数値です。
このように、犬にも人間と似た行動的特性があり、それが一定の割合で「生活に支障を与えるレベル」に達することがあるのです。
もちろん、犬と人間の生活環境や社会的役割は異なります。
たとえば、人間のADHD診断で問われる「学業上の困難」や「職場での支障」は、犬には当てはまりません。
そこで研究チームは、犬に特化した生活機能の評価項目を用意し、犬の「家庭内での適応」「他者との関係性」「訓練のしやすさ」といった現実的な文脈で評価を行いました。
この点において、犬の行動特性を「社会との相互作用の中で」評価しようとする姿勢は、人間の発達特性に対する理解とも共鳴しています。
また、症状スコアは高いものの、生活への影響が少ない犬も数多く存在しました。
研究チームはこれについて、「活動性が高くても、それが適切に活かされていれば機能障害にはつながらない」とし、たとえば作業犬やスポーツドッグなどでは、このような傾向が見られる可能性があるとしています。
逆に、症状スコアが低くても、環境によっては大きな支障となることもあります。
たとえば、比較的落ち着いた犬であっても、オーナーの生活スタイルや住環境との相性が悪ければ「問題行動」と見なされてしまうことがあります。
このように、同じ行動でも、その評価や意味は環境や文脈によって変わることがある。
これはまさに、人間の発達特性を考える上でも、極めて重要な視点です。
研究チームはまた、診断の際には「安易な薬物投与を避ける」必要があるとも指摘しています。
犬のADHD的行動に対しては、すでに薬物治療が行われることもあるのですが、明確な診断基準がない現状では、誤診や過剰な対応が起こりうるためです。
今回の診断基準では「感度よりも特異度(誤診を減らす力)」を優先して設定されており、その理由として、不要な治療介入を避ける慎重な姿勢が示されています。
人間においても、ADHDは単純なラベルではなく、複雑な特性の連なりであり、その評価は容易ではありません。
そのことを、犬という他者を通して再確認するような研究成果とも言えるでしょう。
そしてもうひとつ、研究チームは「ADHDのサブタイプ」の存在にも言及しています。
つまり、「衝動性が主に問題となっている犬」「多動性が顕著な犬」「不注意が目立つ犬」といった、異なるパターンがありうるという指摘です。
これは人間のADHDでも見られる分類であり、犬の行動特性がそれに似た構造を持つ可能性を示唆しています。
もちろん、今回の研究は「犬のADHDを確定診断する」ものではありません。
あくまで「スクリーニング」として、次の段階(行動観察や専門家の面談)につなげることを目的としたものです。
そのうえで、こうした取り組みが犬の福祉向上にとどまらず、人間の発達特性の理解や診断のあり方を考えるための、豊かな「鏡」となりうることは間違いありません。
私たちはときに、人間を人間としてだけ見ようとします。
でも、犬の行動を通して「発達的な違いとは何か」「適応とは何か」「支援とは何か」を考えるとき、そこには私たち自身の在り方も静かに映し出されているのです。
(出典:Nature)(画像:たーとるうぃず)
人間ではない存在を見ることによって、人間についてよくわかることがあったりします。
今回の「犬」もそうですが、今や、急激に賢くなった「AI」もそうした対象になり得るはずです。
(チャーリー)