
この記事が含む Q&A
- 自律性を尊重しつつ、健康・生活水準・資源といった他の権利や現実的制約をどう両立させるべきか、状況ごとに判断し本人の意思を重視するにはどう対応しますか?
- 自律性を尊重しつつ、健康・生活水準・資源といった他の権利や現実的制約を考慮し、状況ごとに判断します。
- デンマークの研究で提起された「健康・社会的包摂・生活水準・資源」という四つのジレンマとは具体的にどのような場面で現れるのでしょうか?
- 健康、社会的包摂、生活水準、資源の四つのジレンマが日常の場面で重なり、単純な正解はなく状況ごとに判断を重ねることになります。
- 職員が葛藤をひとりで抱え込まず、チームで対話を共有することの具体的な意義は何ですか?
- 職員同士が経験や悩みを語り合い、入居者とともに検討する場を作ることで支援の質を高めます。
知的障害のある人が地域で暮らす支援付き住宅では、「自分で選び、自分で決める」ことが大切だとされています。
国連の障害者権利条約でも、自律性は基本的人権のひとつとされ、誰もが自分の生活を自ら選び、望む生き方を実現できるように支援を受ける権利を持つと明記されています。
しかし、その理念を現場で実際に実現することは容易ではありません。
デンマーク社会科学研究センターは、支援付き住宅の現場を長期間観察し、職員と入居者のやりとりを丁寧に記録しました。
その結果、知的障害のある人が自律性を行使することと、他の人権や現実的な制約を守ることとの間で、職員が日々大きな葛藤に直面していることが明らかになりました。
研究で浮かび上がったのは、四つの大きなジレンマです。
健康に関するジレンマ、社会的包摂に関するジレンマ、生活水準に関するジレンマ、そして資源に関するジレンマです。
これらはすべて、人権を尊重するという大きな枠組みの中で起こっているため、単純に「正しい答え」が存在するわけではありません。
健康に関するジレンマはとても日常的な場面で現れます。
肺の病気を抱える人が長年の習慣として喫煙を続けたいと望むとき、職員はどうすべきでしょうか。
医師の説明を伝え、危険性について一緒に話し合うことはできます。
しかし、本人が「それでも吸いたい」と選ぶのであれば、その意思を尊重せざるを得ません。
けれども、その結果として健康が悪化すれば「自由を守ったこと」が本当に良かったのかどうか、職員には疑問が残ります。
同じように、肥満や糖尿病を抱える人が甘いものを買い込んでしまうとき、職員は「好きなものを食べる権利」を尊重するのか、それとも「健康を守る義務」を優先するのかで迷います。
どちらも人権に基づいているため、簡単に答えを出すことはできません。
社会的包摂に関するジレンマもまた複雑です。
孤立を防ぐために食事会や誕生日会に参加することを勧めても、本人が「参加したくない」と断ることがあります。
職員がその意思を尊重すれば孤立が深まる危険があり、強制すれば自律性を侵害することになります。
また、ある人を行事に参加させることで、他の入居者が「一緒にいたくない」と感じ、関係が悪化することもあります。
ある人の自由を守ることで、別の人の自由を奪うことになる。
この対立の中で職員は「どちらの自律を守るべきか」を選ばなければなりません。
生活水準に関するジレンマもあります。
掃除や食事の時間を一律に決めるのは、施設にとって効率的で安心できる方法です。
しかし、それは必ずしも入居者の意思に沿うものではありません。
自由にさせれば不衛生な環境になり、病気や生活力の低下につながる危険もあります。
「自分の家として自由に暮らす権利」と「人として健康で安心して暮らせる生活水準」という二つの権利がぶつかるとき、どのように判断するかはとても難しい問題です。
そして資源のジレンマも現実的です。
支援は限られた時間と人員の中で行われています。
たとえば恋人同士の交流を支えるには、移動や生活の補助が必要です。
しかし他の入居者への支援も同時に行わなければならないため、すべての希望を叶えることはできません。
愛情や人間関係は大切にされるべき権利ですが、現実の資源との調整が避けられないのです。
デンマーク社会科学研究センターの研究が示すのは、こうした場面を単純に「職員が権利を妨げている」か「促している」かという二分法では理解できないということです。
実際には、健康、社会参加、生活の質、資源の限界といった複数の要素が常に重なり合い、現場では「どちらを選んでも完全には正しいとは言えない」状況が繰り返し生まれます。
職員はそのつど、「どの判断が本当にその人の生活にとって最も良いのか」を考え続けているのです。
重要なのは、こうした葛藤をひとりで抱え込まず、チーム全体で共有することです。
職員同士が集まり、経験や悩みを言葉にして分かち合うことは、支援の質を高めるために欠かせません。
このような対話の場は、ひとつの「道徳の実験室」として機能します。
そこでは正解が決まるわけではありませんが、「どうすれば入居者の生活がより良くなるか」を共に考えることができます。
入居者自身もまた、自分の意思を表明する場を持つことが重要です。
支援付き住宅の住民が「これは自分で決めることだ」と言えるようになることは、自律性の実現そのものです。
しかし、そうした意思が必ずしも健康や社会的な幸福につながるわけではありません。
ときには本人が望んだ結果が後悔につながることもあるでしょう。
けれども、その過程を尊重し、ともに考えることこそが人権を守るということです。
この研究は、知的障害のある人の人権をどう守るかという課題に対して、現場で働く人々の葛藤を丁寧に描き出しました。
自律性を重視する流れの中で、支援員は「自由を優先するのか、それとも健康や生活の質を守るのか」という選択を迫られます。
その答えは一律に決められるものではなく、状況ごとに考え続ける必要があります。
知的障害のある人が「自分の人生を自分で決める」権利を守ることは簡単ではありません。
しかし、その難しさを直視し、職員同士が対話を重ね、入居者とともに考えることで、少しずつより良い支援の形をつくっていくことができます。
健康や生活の質を守ることと、自律性を尊重すること。その両立は困難ですが、両方を大切にしながら模索を続けることが、地域で暮らす知的障害のある人の人権を支える道なのです。
(出典:Social Inclusion DOI: 10.17645/si.10522)(画像:たーとるうぃず)
本当に難しいことだと思います。
真剣に考えれば考えるほど。
あらかじめ決まった正解はないように思います。
正解だったろうと決めるしかないように思います。
ただ、真剣に考えていなかったのであれば、それは不正解です。
(チャーリー)